先日、役所で十数年働いている旧友と食事をした。彼は酒杯を手にため息をつきながら、最近は資料を書く仕事がますます難しくなってきたと言った。どうしたのかと聞くと、上司の要求が高くなったわけではないという。隣に疲れを知らない競争相手——AIライティングアシスタントが座っているからだ。
この言葉に私は一瞬戸惑った。公文書作成という仕事は、かつては誰もが認める安定した職業だった。どの機関でも資料を書ける人材は必要とされている。小さな通知や簡報から、大きな総括報告や指導者の演説まで、文章を書く人はどこでも重宝された。しかし今、状況は確かに少し変わってきている。
具体的に話してもらった。彼はスマホを取り出して見せながら、今は職場の若手が下書きを書くとき、ほとんどまずAIに通すと言う。いくつかのキーワードを入力し、文書の種類を選べば、数十秒でそれらしい原稿が出てくる。形式はきちんとしており、小見出しも対句で整い、「高度に重視」「徹底的に実行」といった言葉までちゃんと盛り込んでくれる。彼は一晩かけて絞り出したものが、他人は十分で仕上げてしまうので、正直複雑な気持ちだと言った。
私も後でいくつかのAIライティングツールを試してみたが、確かに大したものだ。安全生産検査に関する通知を書いてほしいと伝えると、すぐに枠組みを組んでくれる。指導思想、検査範囲、重点内容、工作要求、どれも漏らさない。年度業務総括を書かせれば、成果、問題、今後の方針の三つに分けて書くことも理解している。さらにある指導者の演説スタイルを真似させれば、七、八割方似せてくる。
しかし、AIが完全に人間の公文書作成を代替できるかというと、まだ早いと思う。公文書というものは、表面的には形式と決まり文句に見えるが、本質は実は「分寸感」にある。何が言えて、何が言えず、どこまで言えばちょうどよいのか。この辺りの機微は、AIにはすぐには掴めない。
例えば、同じ出来事でも、上司への報告では困難と支援要請を強調し、部下への通知では責任と期限を強調し、同格間の文書では丁寧に余地を残さなければならない。こうした微妙な語調の違いを、AIはしばしば正確に捉えられない。AIが書いたものは、ざっと見るとそれらしいが、よく読むと何か「人間味」が足りない——組織内で長年揉まれて初めて身につく分寸と火加減のようなものが。
さらに重要な点もある。公文書の背後には、しばしば複雑な人間関係と利害調整が絡んでいる。どの部門を褒めるべきか、どの部門に釘を刺すべきか、どの歴史的懸案は避けて通るべきか、どの新しい状況は必ず指摘すべきか。これらはアルゴリズムで計算できるものではない。ベテランの書き手の価値は、まさに「なぜこう書くのか」を知っていることにあり、「どう書くか」だけではない。
だから私は、AIが公文書作成の仕事を奪ったというより、この仕事の「食べ方」を変えつつあると言ったほうがよいと思う。テンプレートを当てはめ、文字数を稼ぎ、コピー&ペーストするだけの「文字の運搬人」は、確かに危うい。AIはそうした作業を人より速く正確にこなし、残業の文句も言わない。しかし、業務を本当に理解し、人情を理解し、分寸をわきまえた書き手は、むしろさらに価値が高まる。AIが反復的な肉体労働を担うことで、人はより深いことを考える余裕を得られるからだ。
私の旧友も後になって腹を括った。今は職場の若手がAIで下書きを作り、彼は専ら修正を担当しているという。何を直すのか。AIには見えない部分だ——空疎な言葉を本音に、決まり文句を役立つ言葉に、どこにでも当てはまる言葉を自組織の実情に即した言葉に変える。そう直すと、原稿はたちまち別物になる。上司も認め、若手も納得する。
結局のところ、道具がどんなに優れていても道具にすぎない。AIライティングアシスタントは手間を省いてくれるが、頭を使う代わりにはならない。公文書作成という仕事を安定して続けられるかは、最後はその仕事を担う人に本当の実力があるかどうかだ。AIを敵と見なす人は、本当に淘汰されるかもしれない。AIを味方と見なす人は、むしろよりうまくやっていけるだろう。